今日、「患者中心の医療」というコンセプトが大きな潮流となっているが、著者によれば、それらは「患者中心」のための議論としてスタートしながら、少なからず専門家主導で検討が進められてきた側面があるという。医師の「専門性」が拡張され、医師―患者関係とそこで行われる価値判断を主導していく「患者中心の医療」が医療者サイドで構築されつつある。そこに欠落しているのは「患者のなすべきこと」は何かという視点であり、価値判断者としての患者の存在の希薄化が問題となる。「患者中心の医療」の枠組みを医療者が「お膳立て」し、その成果物を患者が享受するものとして思い描かれる医療者の「患者中心の医療」に対し、周囲の人的資源の中心に自分を置き、「病ある生活」を自分自身でプロデュースしていく患者側の「患者中心の医療」が構想される。患者としての自らの意思は、「読み取られるもの」ではなく「表明するもの」であると。
患者主導の「患者中心の医療」の取り組みの一つとして、英国保健省とNHS(National Health Service)が主導するExpert Patients Programme(EPP)がある。EPPは、慢性的な症状を持つ人々が、その症状に上手く対処しながら、社会生活を送っていくためのスキルを獲得するために作られたトレーニング・プログラムであり、患者を「専門能力」を持つ者(expert)として規定している点が特徴である。患者の持つ「素人の専門性(lay expertise)」は、「日常生活運営」における自律性、 肉体をもってその病の現実を知覚しうるただ一人の存在である、という「存在の希少性」 を基盤とする。
著者の提出するもう一つの重要な問いは、「ドミナントイデオロギー」の問題である。すなわち、「一つの理論体系が、表向き別種とされている理論体系を少なからず規定している」という問題、本来、「医学の専門性」とは別種のものとして注目を集めてきた「素人の専門性」を、医学的に評価して、「有用である」「有用でない」と価値づけられていないか、専門性は、変容しているように見受けられる反面、じつはドミナントな理念体系に囲い込まれているのではないか、という問いである。今日の医療におけるドミナントイデオロギーは生物医学であり、生活者側も、濃密に医学的価値判断に思考様式を規定されている。また、EPPにおいても、理念レベルでは「素人の専門知識」という新たな可能性の提示とその活用を主唱している一方で、プログラムの成り立ちは必ずしもこの理念を具現化するものとは言えず、素人専門家の制度化のための実践面では、「再現性と客観性を担保された知識を伝達する」という、未だ伝統的な専門家観が基盤にある。
「患者中心の医療」の本質は、医療の内部の技術的な問題ではないのだろう。むしろそれは、医師であれ、患者であれ、特権的な中心を認めない、対話を基盤にした医療なのではないか。「患者中心の医療」はゴールではなくてスタートである。その先に何があるのかは、あなた次第だ。
「患者中心の医療」という言説―患者の「知」の社会学
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松繁 卓哉
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